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第7回: タヒチ・トロット (3)
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【タヒチ・トロット 作品16】 (3)
(1)は、
■発見前史
■初期作品の復活演奏
■編曲のいきさつ
(2)は、
■マコライ・マリコ
■賭けの話
以下、(3)
■その後の「タヒチ・トロット」とショスタコーヴィチのバレエ
「タヒチ・トロット」の編曲は大好評だったようで、指揮者のガウクがバレエ「黄金時代」の中に組み込みたいと申し入れ、ショスタコーヴィチはオーケストレーションを変更してそれに応じた。ところがどこの公演でも、この「タヒチ・トロット」ばかりが好評で、アンコールで踊られたり演奏されたりするようになったために、ショスタコーヴィチは非常に苦々しい思いを味わった、ということである。さらには、ジャズを模した「西洋退廃音楽」ばかりが人気を集め、これが当局の癇に障る点ともなるのだ。
「黄金時代」がレパートリーからはずされて、「タヒチ・トロット」についても誰も言えなくなる時代が来たため、この編曲も失われたものとして考えられていたのだろう。
その後のロジェストヴェンスキーによる掘り起こし作業でこの編曲は日の目を見たようだが、先にも書いたように、ロジェストヴェンスキーが最初の蘇演をしたのか、それともスヴェトラーノフが先んじたのか、が分からない。さらには、曲にまつわるストーリーを読んでいると、オーケストラ小品としての「タヒチ・トロット」と、「黄金時代」に組み入れるための再編曲がある、と読めるので、ここらへんもどうなっていることやら。。。
ロジェストヴェンスキー自らがマリコ未亡人を訪ねてスコアを見ながら話を聞いた、という話もあるが、これについては確証なく不明である。ただ、その譜面は未亡人の死後その他のコレクションとともにスイスのパウル・ザッハー財団に寄付され、生誕百年を記念して精細なファクシミリ譜が出版されている。
なお、この譜面には「タヒチ・トロット」のオリジナルの出版譜までおまけについている。ちなみに、「タヒチ・トロット」は当時の世界的ヒット曲「Tea
For Two」をまるまるパクッた作品で、非常にいかがわしいものであるそうな。
1980年代になって、ボリショイバレエに君臨していたユーリー・グリゴローヴィチが「黄金時代」の復活を計画する。初演当時の台本のままでは上演不能と考えたグリゴローヴィチはストーリーをまったく変更し、各幕(1幕・2幕・3幕)の終わり際に伝統的なバレエのしきたりに従って「愛のパ・ド・ドゥ」を加えることを決定。オリジナルの音楽だけでは不可能であるとして、なんとショスタコーヴィチのふたつのピアノ協奏曲の緩除楽章を1幕と2幕のそれぞれのデュエットの音楽として組み込んでしまったのである。
バレエ「ボルト」の音楽が、ピアノ協奏曲第1番の特に第2楽章に分散引用されていることが分かったのは、「ボルト」の全曲CDが出た90年代半ばのことだ。今から思えば第1番第2楽章の採用、というのは必ずしも的外れではないかもしれないが、第2番の第2楽章はいかにも浮き上がって奇異だった。(個人的には非常に好きな曲なので許したいところだが。。。)
82年に初演された「新版・黄金時代」は概して好評で、85〜86年のシーズンの上演が録画され、87年になってLDが日本国内で発売された。ショスタコーヴィチのバレエ3作はその後ピアノ小品やらオーケストラのための組曲やらの形で再現されているので、この「新版・黄金時代」のどこからどこまでがオリジナルなのか、誰もまったく分からないという状態だった。
本サイト管理人は1987年の8月31日、予定を変えて偶然立ち寄ったロサンゼルスでボリショイバレエ・アメリカ公演の最終日に遭遇し、幸運にも入手した1階中央の出資者招待席でこのバレエを楽しんだ。しかし、ここでもカーテンコールは「Tea
For Two」で、なんとも皮肉なことだと思った。最終公演の前日、男女のソリストが亡命するという事件があって、会場全体を武装警官が取り囲んで警備するという異様な雰囲気も楽しむ(?)ことができた。グラスノスチは始まっていても、87年はまだまだ「亡命」という単語が東側の芸術家にとって切実な言葉だったのだ。
「新版・黄金時代」は94年になって日本にもやって来ている。日米の公演の大きな違いは、「黄金時代」が主役であったアメリカ巡演に対して、日本では2ヶ月の巡業で東京でたった2回のみの公演。それもかなり空いていた、というのが彼我の受容の差を思い知らせるものがあった。
同じ94年にロジェストヴェンスキーがストックホルム・フィルを振ったオリジナル全曲版が発売された。やはりグリゴローヴィチ版とは相当違うものだった。オリジナルはグリゴローヴィチ版の5割り増しぐらいのボリュームなのだ。(逆に言うと、グリゴローヴィチ版は、新たに加えた部分がかなりの長さであるにもかかわらず、演奏時間でオリジナルの3分の2程度に圧縮されている、ということだ。)
まあ、忘れられるだけの理由はある作品を、大幅改変とはいえ世にふたたびしらしめたと言う点ではグリゴローヴィチの功績も評価しなければならないだろう。オリジナルのままではおそらく歴史的価値以上の人気を得ることは難しいだろう。なにしろ伝統的バレエを徹底的に否定したい、と考えたスタッフが考え出した作品なのだから。(そのくせ上演だけは伝統的な劇場にこだわっていたらしい。そもそもの無理がそこにあるんじゃなかろうか。)
ちなみにロジェストヴェンスキーによる「オリジナル版」にも、「間奏曲」という名で「タヒチ・トロット」が入っている。
この「オリジナルのままでは」という部分についてはバレエ「ボルト」についても同じ感想を持った。作曲者生誕百年を記念したプロジェクトで各国テレビ局の出資協力を得て忠実に再演されたものがDVDで出たが、正直、途中で飽きるのだ。
それに対して、バレエ第3作にして1936年のプラウダ批判の標的のひとつ「明るい小川」は、実は親しみやすいピースにあふれており、(だからこそ子供用のピアノ小品として人気があるのだ)、スターバレリーナのガラのような構成が今の時代に合致したようで、2003年の復活公演以来。各地で上演されている。2008年秋には日本でも綺羅星のスター舞踊家が揃って上演する予定だ。
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