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第4回: 交響曲第5番 〜〜〜 「ショスタコーヴィチの『幻想』」の妄想 (4) 後記

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【交響曲第5番 後記】


ところで、交響曲第5番の隠れたテーマである浮気騒動だが、前述した年表に重なってくるのが、交響曲第4番の作曲である。実は、ニーナとの結婚はかなりしぶしぶだったことが明らかになっており、ショスタコーヴィチがご執心だった女性は別にいたのである。その女性はショスタコーヴィチの初恋の人(*)で、関係を引きずった挙句に彼女は別の男性と結婚する。そして彼女が出産したことでショスタコーヴィチはやっとあきらめてニーナと結婚するのである。友人のソレルチンスキーを証人として、誰にも知らせず披露宴もなし、という結婚である。ヘントーヴァによる伝記にも「1932年の春までには結婚していたようだ」と書かれている。
(このあたりの最新の資料について確認しておりません。)


交響曲第4番の最初の発想が生まれたのが1931年11月だそうで、これはニーナとの結婚に踏み切れずにうじうじしていた頃にあたる。結婚をはさんで、珍しく苦労を重ねて何度も書き直して作曲し、完成させたのが「プラウダ批判」後の1936年4月末である。エレーナとの浮気の始まりが1934年春。(大量のラブレターは34年夏のものだそうだ。) 翌35年1月には、第4交響曲の副産物ともいえる作品42の「5つの断章」が書かれている。このあとふたりの浮気が公然のものとなる。さらに35年の秋にはニーナの妊娠が分かり、エレーナとの別れが訪れる。第5交響曲は浮気騒動をあとからふり返って書かれたものだが、第4番はまさにその渦中の作品であり、どのような影響があったのか、作品に何か反映されたものがないかなど、知りたいところである。なかなか作曲がまとまらなかった(特に曲の冒頭を何度も書き直している)というのも影響のひとつかもしれない・・・。浮気騒動がなければ第4番はもっと早くに別の形にまとまっていたのかもしれない・・・。 このあたりはいずれ第4番に関して書くときに再掲してみたい。


なお、ショスタコーヴィチの浮気騒ぎはその後もかなりの回数にのぼるそうで・・・・・ (あ〜あ・・・)


(*)ショスタコーヴィチの初恋の人(グリヴェンコという)については 「結婚したいと思った最初の人」という意味かと思われます。わたしの手元にレニングラツカヤ・プラウダ(新聞)の1989年暮れの記事の切抜きがありますが、これにはヘントーヴァがショスタコーヴィチ13歳の時の初恋の人にインタビューしている、という記事が、その女性の若い当時の写真とともに載っています。



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  【以上 交響曲第5番 終わり】