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第1回: 交響曲第5番 〜〜〜 「ショスタコーヴィチの『幻想』」の妄想 (1)
第5番の(1)
第5番の(2)
第5番の(3)
第5番の(4)
記念すべき( いや、個人的に、ですが) 第1回は、やはり第5番から始めましょう。
最も有名な交響曲第5番。
ショスタコーヴィチの代表作として一般のクラシックファンにも浸透して久しい名曲である。
この作品を作曲する直前、ショスタコーヴィチが公然の浮気をしていたことが一部の研究者によって報告されていたが、生誕百年を迎えた2006年、その浮気相手への熱烈なラブレターが多数残っていたことがはじめて明らかにされた。そして、例によってショスタコーヴィチ自身は何も語っていないが、この浮気が交響曲第5番と密接に結びついているということが分かってきたのである。
第1楽章の後半、展開部の激しい抗争が終わったあと、ほっとしたような明るい場面で、曲冒頭の重々しい主題が展開された第2主題(第50小節〜)が長調に転調して現れる。第2主題自体は、冒頭からの激しい音楽が一段落したのちに、和音を刻む弦楽器とハープの響きに乗って、第1バイオリンによって、静かに、何か深い思いを秘めたように、あるいは漠と広がる凍てつく土地を思わせるように淡々と奏でられる。これに対して、この長調での再現(第260小節〜)は、微妙に音程を変えてフルートとホルンのデュエットで奏でられる。このメロディーが、ビゼーのオペラ「カルメン」の第1幕で主人公カルメンが歌う有名なアリア「ハバネラ」で繰り返し歌われる「愛、愛(l'amor,
l'amor)」の部分とまったく一致している。激しい闘争のあとで、偶然とは言えなんとなまめかしい旋律を! と、カルメンを知る者にとっては昔から違和感のあった部分である。
ところが・・・
1932年 ショスタコーヴィチ、ニーナ・ヴァルザルと結婚。
1934年 エレーナ・コンスタンチノフスカヤと交際。膨大なラブレター。
1935年 浮気が公然化し、離婚の危機。
しかし、ニーナが妊娠したためエレーナと別れる。(完全な二股!!)
1936年 エレーナが密告により投獄される(!)
1月末、有名な「音楽の代わりに荒唐無稽」批判。
5月、長女誕生。
年末(11月とも言われる)、エレーナがスペインに出国。
現地で映画監督ロマン・カルメン(←!!!!!)と結婚。
1937年 夏、ニーナ、第2子(マキシム)を妊娠(38年5月出産)。交響曲第5番7月20日完成。
エレーナ・コンスタンチノフスカヤは、ショスタコーヴィチの8歳年下の女子大生だったそうだ。ショスタコーヴィチの詳細な伝記で知られるヘントーヴァの著書 『驚くべきショスタコーヴィチ』(筑間書房)にも言及されている。(わたしの手元にあるヘントーヴァの著作の原書は作曲者の死後間もない1979年のもので、ここにはエレーナへの言及はない。)離婚の危機にまで至りながら結局奥さんを妊娠させるというのもなかなかだが、その事実を知った時のエレーナはさぞやショスタコーヴィチに毒づいたのではないだろうか。「密告による投獄」というのがなんであるのかはまだ明らかにされていないが、プラウダ批判と同じ日付のショスタコーヴィチの手紙にエレーナ逮捕に関する言及があるそうだ。さらには出国した途端に結婚というのも妙な印象である。
エレーナがカルメンという名の男性と結婚した、というニュースをショスタコーヴィチがいつ聞いたのかは明らかになっていない。しかも統制の厳しくなっていた社会状況で、どのようにしてそのニュースを得たのかも分からない。 しかし、長女が出来ていたとはいえ、エレーナに若干の、いや、かなりの未練があったショスタコーヴィチが、彼女の結婚の報を聞いて少なからぬショックを受け、その時カルメンという名に旋律がひらめき、「愛」のテーマが短調で重く響いた、と考えてみるのはなかなか楽しい。 冒頭の上昇音形と下降音形に日本語で 「ガビ〜ン!」{ズド〜ン!」など歌詞をつけたくなってくる。もしかしたらロシア語の卑俗な表現に同じ抑揚のものがあるかもしれない・・・。 で、この瞬間に第1楽章の骨子は出来上がったのではないだろうか。しかも、260小節で初めて「生の」愛のテーマが出てくるとき、女性と男性をシンボライズしたようなフルートとホルンのデュエットで奏でられるのだから手が込んでいる。しかし、愛のひとときを思い返して明るい気分に浸ったのもつかの間、音楽はふたたび沈潜して行き、心晴れない未解決な状態で第1楽章を終えるのである。
交響曲第5番の第1楽章は、非常に完成度の高い優れた音楽であることは誰もが認めるところだ。作曲者の浮気の思い出が反映されているとしてもその音楽の質が貶められるものではない。それどころか、「優れてはいるが保身のため、お上の批判に答えるために妥協して書いた曲だ」という従来から盛んに使い古された評価がまったく的外れであったことが明らかになり、人間生活の悩ましい葛藤が反映された素晴らしい音楽だと考えられるようになった、と思うべきだろう。 (「妥協」については後述。)
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