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第3回: 交響曲第5番 〜〜〜 「ショスタコーヴィチの『幻想』」の妄想 (3)

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そして、第4楽章。冒頭の金管による音形(a-d-e-f)が、この曲の直前に作曲された「プーシキンの詩による四つの歌曲 作品46」の第1曲「復活」とまったく同じであること、さらに第4楽章中間部の最後(第231小節〜)に出てくる第1バイオリンとハープの音形が、同じ歌曲の後半に出てくることが、ショスタコーヴィチの死後すぐに指摘されるようになった。この歌曲の出版譜は長年入手不可能だったのだが、作曲者の死の直前、1974年暮れに出版された「歌曲選集」の第1ページがこの曲であったため、誰の目にもその類似が見えるようになった、という事情がある。第4楽章全体、少なくとも終結部に入る前までは、この短い歌曲を拡大したものという見方も可能だ。


  歌曲の歌詞は以下の通りである。

     未開人の画家が うつろな筆さばきで
     天才の絵を塗りつぶし
     法則のない勝手な図形を
     その上にあてどもなく描いている

     だが 異質の塗料は年を経て
     古いうろこのようにはがれ落ち
     天才の創造物はわれわれの前に
     以前の美しさをとり戻す

     かくて苦しみぬいたわたしの魂から
     かずかずの迷いが消えてゆき    
     はじめの頃の清らかな日々の幻影が
     心の内に湧き上がる

  小林久枝訳(全音の「ショスタコーヴィッチ歌曲集」)より
 
  注:2行目「迷い」には「誤解」という意味も含まれる。


従来は、「未開人」を当局やスターリンになぞらえ、「天才」を作曲者自身と考える解釈が普通で、批判を受けて演奏禁止となった「マクベス夫人」がやがては復活するぞ、という気持ちを込めたもの、という捕らえ方だった。が、最初のテーマはたしかに交響曲4楽章の主題と同音列だが、ごく短い一瞬の類似に留まるのに対して、歌曲の後半(たった2ページの歌曲の2ページ目)のピアノ伴奏部は、誰の目にも交響曲第4楽章中間部最後との類似が明らかである。声楽パートがなければ交響曲のピアノ・リダクションかと思えるほどそっくりなのである。歌曲と交響曲が同時期の作曲であることを考えるとショスタコーヴィチが何らかの意図を持っていた可能性は非常に高い。そして、その部分の歌詞は上記の通り、「迷いや誤解が消えて清らかな日々の幻想が湧き上がってくる」と言っているのだ。


こう見てくると、

   第1楽章は「浮気相手の結婚報によるショックと葛藤、ときおり浮気の甘い思い出」、

   第2楽章は「彼女とのダンスシーン、ベッドシーン予告つき」、

   第3楽章は「葛藤と自分なりの解決」、

   そして最終楽章は
    「葛藤の続き、または再整理。内的な闘争とその解決による清らかな浄化された気持ちの表現」

ということになろうか。


第4楽章の終結部直前までを 「ことのいきさつの再整理」 とすると、終結部はけりをつけるためのどんちゃん騒ぎであろうか。延々と鳴り続けるラ(A)の音についても、ロシアでの音名は「リャ」であるため、「リャリャリャ・・・・」と言い続ける(叫び続けると言ってもいいか・・・)ことになるが、なんと、かの浮気相手であるエレーナを、ショスタコーヴィチは「リャーリャ」と呼んでいたのだそうだ。 ありゃりゃぁ〜 ヽ(´△`)ノ ここまで来ると確信犯だ! ショスタコーヴィチ自身はこの「リャ連発」を「リャーとはわたし(ヤー)のこと」と言っていたそうなので、彼女の名前と自分とを二重連呼するという状態になっているのだ!


さらに、最後のファンファーレ部分(325小節〜)でティンパニーが「ラ・レ・ラ・レ・ラ」を繰り返すが、この音形もカルメンの主題の変形と捉えられるし、さらに、「ラ」が彼女の象徴、「レ(d)」が自身(ディミトリー)の象徴と考えられる。彼女への思いと自分がしっかりしようという思いに揺れて揺れて、そして最後の最後にまるでゴキブリでもつぶすかのような大太鼓が「いい加減にしろ!」とばかりに鳴って、「レ」のユニゾンに戻って、つまり自身を取り戻して曲は終結するのだ。



というわけで、この曲は実は

      「ショスタコーヴィチの 『幻想交響曲』 なのではないか?」

というのがわたしの現在の印象なのだ。

ベルリオーズが、あの大作に 果たせなかった思いの顛末をぶちまけたように、ショスタコーヴィチもひとりの女性との思い出を縷々綴ったのではないか?

そう言えば、終楽章最後の 「勝利のファンファーレ」(A〜D〜E〜Fis) って、「断頭台への行進」のテーマと似てるようにも思えるし・・・・・

この後、さらに新しい資料が出てきても、この基本的な構成はもう変わらないのではないかと思えるんですよね。



この作品は、先行する3楽章の完成度に比べて第4楽章がいかにも見劣りする、とはしばしば指摘されるところだ。
しかし、この曲が、プラウダ批判によって立場のまずくなったショスタコーヴィチを救ったことは間違いない。明日にも粛清されておかしくない状態に置かれた作曲者が起死回生の思いを込めたのは確かだと思う。最後の楽章を一般受けする形でまとめた、というのはあながち間違った見方ではないと思うのだ。第4楽章が、演奏されなかった第4番のような捉えどころない形で終わってしまうことは許されないことだったはずだ。そのことを熟知していたショスタコーヴィチは、こうすれば絶対大丈夫という計画を持って、ある意味、終楽章で妥協したのではないだろうか。もちろん安易な妥協ではない。自分の音楽家としての生命、人間としての命がかかっている状況での積極的な妥協なのだ。ただし、同時に極めてプライベートな事件のいきさつも込めて・・・ 後にショスタコーヴィチがこの曲について「自伝的作品という解釈はある程度当たっている」と語っている意味はここにあるのではないか。


無名のムラヴィンスキーという若い指揮者が初演の担当に選ばれたいきさつは、生前のショスタコーヴィチやムラヴィンスキー自身がさまざまな機会に話しているが、公的発言のニュアンスが強くて、実際がどうであったのかいまひとつすっきりしない。ソ連邦音楽界未曾有の規模の大交響曲であった第4交響曲の初演がなぜ中止されたのかも、これだけ資料が出てくる中でいまだに分からないことだらけなのだそうだ。地位はあるが才能のない音楽家の嫉妬が初演を葬り去った元凶、というところが周辺の証言から浮かび上がっている。第5番の初演をバレエの指揮でしか実績のない指揮者にやらせて失敗させようと手配した者があったのかもしれない。ただ、無名の指揮者であったからこそショスタコーヴィチ自身が付きっ切りで初演の指導を出来たのであり、彼には「きちんと演奏してくれればこの曲なら間違いない」という自信があったのではないだろうか。(リハーサルは4日間に渡って入念に行なわれている。)そういう点で必死な音楽ではあるのだが、一方で自分と浮気相手の名前の二重連呼というすこぶるつきのきつい冗談も用意しているのだから、これはもう本当にひねくれている(爆)と言っていいだろう。カルメンをはじめとする一連の「隠し味」には誰も気づかないし、仮に気づく者がいても、ソ連を代表する傑作の登場という初演の大成功の前には、ゴマメの歯軋りとしか取られなかったことだろう。そこまで企てていたのだとしたら、本当にすごい人だと思う。



以上、「ショスタコの幻想」妄想の項、終わり。

 参考文献:
  ヘントーヴァ  『驚くべきショスタコーヴィチ』(筑間書房)
  ヘントーヴァ  『ショスタコーヴィチ ペトログラードからレニングラード』(Лениздат 1979初版)露文原書
  ファーイ 『ショスタコーヴィチ ある生涯』(アルファベータ) ←これはショスタコファンの必読書です。
  ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007 プログラム解説(一柳富美子)
  など

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